『多読』の失敗と、専門分野

この記事は2分で読めます

先週の日曜は1日、仕事も勉強もストップさせて完全にお休みモードで過ごしました。

「休む」と決めてしまうのは効果的ですね。

毎日毎日いろんなことしなきゃって追い回されてると、気分転換に遊びに行ったりすることも躊躇してしまって、結局日々のパフォーマンスがた落ちです。片っ端からやってるつもりが実はそんなに効率良くさばけてないことに気付きました。休みなくやるから無意識にもそしてだいぶ意識しながらも、どっかでサボってる、ぜったい。もう一度言う。だらだら、ダメ、絶対。

こほん。日曜日は1日、積ん読の処理をしました。
そのうちの1冊がコレです。

読みながらグサグサ刺さりまくった「言葉」のなかに、こんなものがありました。

  • 『読むことは手段であって、目的ではありません』
  • 『理解できないものをいくら読んでも、目の運動にしかなりませんから』
  • 『1日のうちで〇〇にかける時間をまずは決めること』

あーごめんなさい。完全に私のことです。

この本を読んでいたら、僕が過去にやってしまった『多読』についての失敗の理由ハッキリと明確になりました。なにか新しい勉強を一から始めるにあたって、おそらく誰もが『質と量』の問題にぶち当たるのだと思います。

ぜんぜん分からない状態なんだからきっちり隅々まで勉強しないといけないんだけど、頑張っても頑張ってもちっとも進みやしない。途中でシビレを切らして、「いやっ!ちっとも理解できないのは量が全然足りないからだ!」と思い至り、ひたすら量をこなすというヨコ道に迷い込む。

という、例のアレです。

僕は約2年前、特許翻訳の専門分野を決めて勉強するにあたり、この『多読』というものに心底ハマッてしまいました。ひたすらに<バイオ>や<遺伝子>と名のつくPDF資料を来る日も来る日も読んでいたんです。量をこなした先にこそ未来があるのだと。一生懸命、毎日目の運動をしていたことにも気付かずに。
↓↓ 4~5冊捨てたので全部で10冊ぐらいあったと思います。

別に『多読』が悪いわけではないのです。あまりにもバランスに欠けていたということです。そして順番を間違えていたということ。あるモノゴトを勉強する際、たくさん読んで既視感を養う『多読』と、しっかり理解して身につける『精読』とがあります。大切なのは、先ずある一定のエリアを時間をかけてしっかりと理解して身につけること(精読)。それからその知識を活用してある程度の量をこなすこと(多読)。

①に『精読』(単なる目の運動ではなく、逃げずに完全に理解すること)
②に『多読』(身につけた知識を手がかりに量の海を泳ぎながら知識同士を繋げていくこと)

僕は、ある程度両方をやってみてやっと少し分かった気がします。<バイオ>とか<遺伝子>とかどでかいキーワードから始めるのではなく、<心不全治療薬>とかのもっとスペシフィックなところから入るべきでした。こればっかりは恐らく自分で経験してみないとストンと理解できないと思います。だから説明も難しい。そのあたりのことがこの本にしっかりと書かれています。さすがは、池上さんと佐藤さんです。お話がとても分かりやすい。しかし、重いことをサラッとおっしゃるのですよ。


毎週日曜日は休むと決めたのだし、これまでより月~土のパフォーマンスが落ちたのでは話にならんなと思いつつ、落ちてる実感がイマ確かにココにあるという事実。そして、『最強の読み方』を読み終えて積ん読を1冊解消したと思ったら、本の中で参照されてるものをいくつかポチるという愚行を(もとい、善き行い)。恐るべし積ん読量産本です。お気を確かに持って挑んでください。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

特許翻訳のコツ

学会

展示会・セミナー

翻訳者の装備品

アーカイブ

今日は何を読もうかな